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2007年5月 2日 (水)

柏餅はなぜ食べる?

もうすぐ”こどもの日”ですね。

”こどもの日”に連想されるもの、”こいのぼり・兜・菖蒲湯・柏餅”などがありますね(*^▽^*)ノ♪

今日、幼稚園から帰ってきた長男が

「こどもの日に柏餅をなぜ食べる?と言う話を先生から聞いてきた!」

と言うのです。

恥ずかしながら私たち夫婦は知りませんでした((´д`υ))・・・

長男が言うには

「柏の葉は風に吹かれてても木から落ちなくて強い!!だから柏餅を食べる。」

なのだそうです。

「へ~そうなんや~(ノ´∀`)ノ゜。*♪。*゜+。柏の葉でつつまれたお餅をたべると強い子になるんや~。なるほどなぁヾ(o´ヮ`)ノ♪」

親の知らないことを幼稚園の先生から習ってくる。そして、親やお友達にそのことをお話しする。これからこんなことが沢山あるんでしょうね。

長男の話を聞いた後、ちょっとネットでも調べてみました。

”柏の木は新しい芽がでてこないと、古い葉は木から落ちないそうです。つまりは家の系統が途絶えない、子孫繁栄と言う縁起担ぎがあり、柏の葉で包んだお餅を食べるようになった。”

という説があるようです。

幼稚園で先生が子供向けに、どのようにお話をされたかまではわかりませんが、子供は子供なりに、先生のおっしゃった言葉の強い印象部分を私達に話してくれたようです。

幼稚園で子供たちはこの柏餅の話のときに、実際に柏餅を食べてきたようです。

”柏餅の話”以外にも”こいのぼり”のお話も聞いてきたようですが、

「”こいのぼり”・・・・は・・・なんでかな??」

と、こいのぼりのお話を聞いてきたようですが、内容は覚えていませんでした( ;∀;)

話半分、うちの子らしい・・・(ll'∀')-

ちなみに、”こいのぼり”は

中国の正史、二十四史の一つである後漢書による故事で、黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜に成ることができたことに因んで鯉の滝登りが立身出世の象徴となった。

本来は真鯉(黒い鯉)のみで、明治時代から真鯉(まごい)と緋鯉(ひごい)の対で揚げるようになったが、昭和時代からは家族を表す物として子鯉(青い鯉)を添えた物が主流となった。但し、過渡的に黒と青だけという組み合わせも見られた。

竿の先に回転球や籠玉、その下に矢車を付け、五色もしくは鯉などを描いた吹流しを一番上に、以下真鯉、緋鯉、等を大きさの順に並べて揚げるのが一般的。

「江戸っ子は皐月の鯉の吹流し」と言われる様に、鯉幟は「幟」とは名づけられているものの形状は魚を模した吹流し形である。

そもそも、鯉幟は門松や雛人形と同じく、江戸時代中期の裕福な庶民の家庭で始まった習慣であった。

(Wikipediaより)

”端午の節句”の風習と由来

風習は、3世紀の中国で始まったとされるが明らかではない。中国においては邪気を払い健康を祈願する日とされ、野に出て薬草を摘んだり、蓬で作った人形を飾ったり、菖蒲(しょうぶ)酒を飲んだりする風習があった。蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていた。現代の日本においても菖蒲や蓬を軒に吊るし、菖蒲湯(菖蒲の束を浮かべた風呂)に入る風習が残っている。

日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢を祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。すなわち、端午は元々女性の節句だった。宮中では菖蒲を髪飾りにした人々が武徳殿に集い天皇から薬玉(くすだま:薬草を丸く固めて飾りを付けたもの)を賜った。かつての貴族社会では薬玉を作りお互いに贈りあう習慣もあった。宮中の行事については奈良時代に既にその記述が見られる。

鎌倉時代ごろから「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであること、また菖蒲の葉が剣を形を連想させることなどから、端午は男の子の節句とされ、男の子の成長を祝い健康を祈るようになった。鎧、兜、刀、武者人形や金太郎を模した五月人形などを室内の飾り段に飾り、庭前に鯉幟(こいのぼり)を立てるのが、典型的な祝い方である。鎧兜には男子の身体を守るという意味合いが込められている。

(Wikipediaより)

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